【看護師】私は誰のために働いているの?【不穏な患者に学ぶこと】

コラム

皆さんこんにちは、にこやです。

先日、こんなツイートをしました。

色んな方を看護していると、
「私はこの人に対して何で看護をしているんだろう」
なんて考えちゃう時があります。言葉で表すのはすごく難しいです。
でも、その答えが見つからない限り些細なことでイライラしちゃうだろうし失礼にあたるなって思うから、考え続けたいと思います😞

看護師として働いていると、様々な患者さんにお会いしますよね。
その中で、「私は一体、なぜこの人の看護をしているのだろう。」
なんて漠然と思ったことがあったので、その話をしていこうと思います。

賛否両論あるかと思いますが、あくまで私が感じたことです。こういう意見もあるんだな、くらいに受け止めて頂けたらと思います。

ここ最近の状況

  • 不穏で暴れ、抑制帯
  • 経管栄養チューブやルートを自己抜去
  • 自分でおむつをはいで尿失禁祭り

これはほんの一握りで、毎日ドタバタの日々です。

抑制帯、本当はつけたくないんですよね。
でも、安全のためにはどうしようもなく、毎日カンファレンスで検討していますがなかなか離脱できません。

また、転倒転落予防としてウーゴ君を装着している所はコールなりまくり。
その都度訪室して、何事もないか確認します。

ほとんど何もないのですが、たまに転倒していると一大事です。

自分で動けない患者さんからのコールも多い

心身ともに疲弊している時、

  • 「お茶とってくれませんか」
  • 「ちょっと暑いんで空調どうにかしてくれませんか」
  • 「おしっこ」

こういったコールも結構多い。
自分で動けないから、身の回りのことを誰かにやってもらう必要があるのはわかります。

ただ、上記に挙げたことは看護師の資格を持っていなくてもできることなんですよね。

一部屋に一人くらい、家政婦みたいな人材がいればどんなにいいか・・・。

そんなことも考えてしまいました。

助手さんもいるけど・・・

病院には助手業務をしてくれる方がおり、その人たちも対応してくれます。
でも、日中は搬送業務を中心に結構忙しく、全然時間がないんですよね。

加えて、私の勤める病棟はコールは看護師がとる習慣がついており、そういった細かいこと含め看護師の仕事となります。

本当に一言、大変です。

疲れてきたときの心情


疲れてくると、「共感能力が落ちてくる」感じ、分かりますでしょうか。

共感能力が落ちる

普段だったら気になるところも気にならないし、考えることを考えられなくなる。
患者さんの立場に立って、これは嫌だろうな、今はこうしてほしいんだろうな、そんな想像すらできなくなる時があります。

だからこそ、尿まみれになって病衣を何着も交換してミトンなどの抑制帯もつけ、暴れてトイレに行こうとするのを介助する、そんな患者さんの様子を見ていると、

「一体、なぜこの患者さんは抑制帯もつけて失禁だらけになって暴れているんだろう。私は一体なにを看護しているのだろう。」

そんな感情が出てきてしまいます。

汚れ仕事は嫌ではない

おむつ交換とかトイレ介助とか、大変だけど嫌いではありません。

清潔を保つことは大切

失禁している状態をそのままにしておくのは不快感はもちろんのこと、皮膚が浸軟してびらんや褥瘡リスクになってしまいます。
それらの予防のために、清潔を保つことはすごく大切。

そして汚れていたベッドや洋服が綺麗になったときには、こちらも達成感を感じるものです。

頭では分かっているけど

  • 治療に協力的ではない
  • 本人がどうしたいのかさっぱりわからない
  • 家族の面会もほとんどなく「施設に転院させてください」と投げやりな感じ

このようだと、私たちの提供している看護は一体どこに寄与されているのだ、と思ってしまいます

とまあ、そんなもやもやを抱えていたある日。

パートナーからのちょっとした話


ある日、パートナーからこんな話をされました

「にこやは、俺が超ボケて入院しなくちゃいけなくなったとしても、死んじゃったら嫌?」
「うん、嫌。」
「それと同じように、にこやが看護している患者さんのことを大切に思っている家族だったりがいるんだよ。
だから、なんのために看護しているかって言ったら本人のためじゃなくても家族の為だったりするから、もっと自分の仕事に誇りもっていいよ」

すごく納得できる言葉、だけど

「家族のため」
確かに、どんなに認知症で、不穏で、暴れて大変なことになっている人でもその人を大切に思う家族がいるんだよな。
だから、その人を大切に看護していくことで家族のためにもなっているんだ、

確かになあ、と思う反面、

大切だったらもっと面会にきて患者さんのサイズにあったオムツを用意するとか、清潔な着替えを持ってくるとか、してくれればいいのに…….

なんて思ってしまうのもあります。

相手の立場を想像することはできても、「自分だったらこうするのにな」という解釈には勝てないと思うんですよね。

だから、私は「本当に大切だったら、もっと面会にきてこまめに大切な人の様子を見に来ると思うのに」と思うので、
そんな「自分だったら」の想像が邪魔をしてしまうのです。

本当、葛藤です。

面会に来ない理由も様々ある

来ないのか、来れないのか、でも変わってきます。

  • 老老介護で面会に来るのが大変
  • 家族内でも他のイベントがあり面会の優先度が低い
  • 他県に住んでおり、頻繁に会いに行けない
  • そもそも患者に興味が無い

などなど。
挙げたらキリないです。

大切に思っているけど「自分も疾患を抱えていて面会に来れない」とか、「家族の介護でとても病院に行けない」とか、家族にもそんな背景があるのかも、と常に考えられたらいいのですが・・。

自分に余裕がなかったり、大変な状況だととてもそこまで想像力を働かすことができません。
私の力不足ゆえに看護が手薄になってしまう、少し言葉がきつくなってしまうことが本当に申し訳ないと感じます。

おわりに


以上、最近私の感じた「私は誰のために働いているの?」というテーマでした。

仕事なんだから、誰のためとかなくただただ患者に対応していればいいんだ!

そんな意見も一理あります。

でも、ある種思考停止の看護を私はしたくないのです。

  • すごく大変だけど、患者を大切に思う人がいる
  • この様子を家族が見たら、きっと悲しむだろう
  • 尿や便で汚れたままでは可哀想だ、自分だったら綺麗な方がいい

こういう、人間的な感情も大事にしつつ、身体的・社会的な側面もアセスメントしながら関わっていけたらと思います。

本人にとって最善の看護を提供できるように、これからも精進していく日々です。
 

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